Morzart Symphony Orchestra
モーツァルト・シンフォニー・オーケストラ

マエストロ・ペンの  
  ある日のモーツァルト (1)

     マエストロ・ペンの

 妻コンスタンツェのバーデンで湯治はまだ続いています。ヴィーンにいるモーツアルトはこの月の上旬連日のように妻に手紙を書いていますが、その中には当時話題になった出来事なども書かれていて、モーツアルトの膨大な手紙は当時の社会を知る上でも貴重な資料と言えます。例えば7月6日付けの手紙には、当時ヴィーンで話題となっていた気球操縦家フランソワ・ブランシャールの気球実験の事が書かれています。ブランシャールは3月9日、5月29日の二回飛行実験を行い、いずれも失敗しています。

「(前略)たったいま、ブランシャールが空に昇るか、それとも三度ヴィーン人をかつぐ事になるか、その瀬戸際だ!しかしブラーンシャールの話題は、今日は全く迷惑だ!仕事の妨げだからだ。」(1991年7月6日)

 この頃の矢継ぎ早の手紙で最も目につくのは三つ。まず金策についてで、あちこち出向かねばならず、いっこうに解決しないから何をしていても落ち着かない、とあります。プフベルク以外からの借金もありました。ブランシャールに触れた6日の手紙には「だが忍耐!きっと好転するだろう!」と書いています。好転する確証など何もありませんが、モーツアルトの心情を思えば辛い言葉です。4日には3フローリンを、翌5日には25フローリンをバーデンの妻に送っています。
 二つ目はコンスタンツェに行動を慎むようにといったもので、「温泉がひょっとして君を余りに開放的にしすぎているんじゃなかろうか」「僕の忠告はいつもそうだが、君がすぐにもやめることだ!」等の言葉が見えます。具体的に何を指しているのか、夫婦の間のやりとりですから私達に分かる筈もありませんが、先月の稿で触れたようにこの妻はかなりの発展家だったのか、しかしこの月末にコンスタンツェは第六子を出産しますから、もうかなりお腹は大きかったはずで、身重の妻を気遣ったものかも知れません。
 三つ目は妻と共にバーデンに滞在し世話を焼いている弟子のジュスマイヤーをからかう言葉です。ジュスマイヤーを指す言葉はいくつもあります。最も多い表現は「スナイ」、そして「ラッチバッチ」「某」「・・・(伏せ字)」など様々で、面白いのは「ザウアーマイヤー」です、ザウアー(酸っぱい)はジュス(甘い)に引っ掛けてあります。1000回平手打ちしろだの、むち打ちをくれてやれだの、ケツを舐めろだの、ジュスマイヤーという弟子がいかにモーツアルトにとって心を開いた屈託の無い存在だったのかが分かります。

 モーツアルトは9日にバーデンへ出向き妻を見舞った後(10日にはバーデンにおいてハイドンとモーツアルトのミサ曲が、アントン・シュトルの指揮で行われています。)、12日には一度ヴィーンへと戻っていますが、中旬には再び出向いて妻子をヴィーンへと連れ戻っています。そして26日には夫妻に取って最後の子供となるフランツ・クサーヴァー・ヴォルフガングを出産。この子供は短命のモーツアルトの子供の中では珍しく、1844年まで生きています。モーツアルトの全ての子供は以下の通りです。

1.ライムント・レオポルト 1787・6・17〜同8・19
2.カール・トーマス    1784・9・21〜1858・10・31
3.ヨハン・トーマス・レオポルト  1786・10・18〜同11・15
4.テレージア・コンスタンツァ・アーデルハイト・フリーデリケ・マリーア アンナ 
                                 1787・12・27〜1788・6・29
5.アンナ  1789・11・16〜同日死去
6.フランツ・クサーヴァー・ヴォルフガング   1791・7・26〜1844・7・29

 長命だったのは次男カール・トーマス(74歳)と第六子フランツ・クサーヴァー・ヴォルフガング(53歳)のみです。第四子の長女の余りに長い名前と次女の余りに短い名前は笑えますね。

 シカネーダーと進めている「魔笛」は順調に仕上がりつつあり、7月末にはほとんど完成したと思われます。バーデンにいるジュスマイヤーに対して、序曲と1幕フィナーレを送り返せといった指示が手紙にはいくつも見えます。
 また妻をヴィーンに連れ戻した頃に、プラハのボヘミア職能代表会議から、レオポルト二世のボヘミア国王戴冠の祝いの為に「皇帝ティトの慈悲」を作曲して欲しいとの依頼が届きます。すでに「魔笛」の大半を完成させていたと思われるモーツアルトは受諾の返事を出します。もう時代遅れとなっていたオペラ・セリア(正歌劇。真面目な内容を持つ)であるこの「ティト」は、ジュスマイヤーの援助無しでは到底完成できなかった作品で、2ヶ月後の9月5日に完成し、翌6日に御前公演が行われています。
 そしてこの月末、ネズミ色のコートに身を包んだ謎の男性から「レクイエム」作曲の依頼を受けます。映画「アマデウス」では神秘的に扱われたこの依頼ですが、実際は単なる作曲依頼に過ぎず亡くなった父の亡霊にモーツアルトが脅えるといった話はありません。しかしネズミ色コートの男が名を秘したある貴族の代理人である事は本当で、謎めいた空気が全くなかった訳ではありません。この貴族はフランツ・ヴァルゼック=シュトゥパッハという伯爵で、この年の1月24日に亡くなった自分の妻を追悼する為に、モーツアルトに依頼し自分が作曲した事にして演奏しようとしたものでした。よりによってモーツアルトに・・・と後世の全ての人間が思った事でしょうね。
 しかしながら「ティト」と違い完成にはこぎ着けなかったこの「レクイエム」は、モーツアルトの毒殺説とあいまって様々な憶測を呼ぶ事になりますが、それもまた後の話です。

 モーツアルトの命の火は後5ヶ月となりました。

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