Morzart Symphony Orchestra
モーツァルト・シンフォニー・オーケストラ

マエストロ・ペンの  
   ある日のモーツァルト (1)

            12月5日

1773年12月5日、モーツアルトはザルツブルクで最初のト短調交響曲K.183を書き上げています。後の名作ト短調と区別して「小ト短調」と呼ばれていますが、冴えない呼び名だなあ。

モーツアルトの交響曲には短調の作品が二つしかありません。短調という調性は、深刻さや悩み、苦しみ、嘆きといった精神のネガティブな側面を思わせますが、我らがモーツアルトは元気いっぱい、意欲モリモリ、ちっとも悲しくない短調が書けた天才でした。この音楽も「少し悩んだふりをしている青年」といった感じ。何せまだ17歳ですからね。モーツアルトの悲しみは、むしろ長調の中にあります。この交響曲はウィーンが彼に書かせた音楽なのです。

 ウィーンからザルツブルクまで特急列車でおよそ三時間ですが、当時は馬車で半日がかり。ザルツブルクはド田舎だったのです。そういえば初めて鹿児島から東京に出てきた時の事は良く覚えています。もう今は無くなった寝台特急「はやぶさ」で一晩揺られ、目が覚めたのは確かまだ横浜よりずっと手前。東京が近づいて品川を過ぎる頃になると目は周囲のビル群に釘付け。現在よりはずっと質素なものだった筈ですが、私の目にはビルの森林のように見えました。出るのは「すげえ〜」の一言だけ。そんな私も、もう人生の半分以上東京で暮らしています。

モーツアルトもきっと色んなものに目を見張ったでしょうね。まだずっと小さい頃からウィーンには来ていましたが、青年になった目にはまた新たな感慨をもたらしたでしょうね。何せ女王様のお膝元、気品と風格を絵に描いたような街です。でもウィーン人は意外と新しいもの好きで、すぐに飽きてしまうんだとか。モーツアルトに飛びついたウィーンは、僅か数年で知らんぷりです。次に飛びついたのはかのベートーヴェン。そんなモーツアルトに最後まで熱狂し続けたプラハは、今でもそれが自慢なのだとか。
ちょっとかわいい、て気がしませんか?田舎人の素朴さかな。


 

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